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社会学者上野千鶴子の東大入学式祝辞がすごい!女性学のパイオニアの経歴や家族について!

4月12日に東京大学入学式の祝辞をされた、
社会学者の上野千鶴子さんの、
その祝辞内容に反響が表れているようです。
 
その衝撃的な内容に、
「入学式で話す内容じゃない」
「入学式で聴いて入学できるのは得難い経験」
と、賛否両論が出ています。
 
このような祝辞をされた、
上野千鶴子さんは、一体どのような人で、
どんな経歴の方なのでしょうか?
 
また、周りの家族はどんな人たち?
 
いろいろと気になりましたので、
リサーチしてみました。
 
 

上野千鶴子さんの経歴は・・・

https://www.wendy-net.com/nw/person/226.html

上野さんは1948年7月12日生れの70歳(2019年4月時点)。
富山県中新川郡上市町出身。
 
専門はジェンダー論で、
社会学者、フェミニストとして
活動されています。
 
学歴は次のようになっています。
富山大学教育学部付属中学校卒業
石川県立金沢二水高校卒業
京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業
京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程退学
 
これだけ見ても、
とても高い能力をお持ちですよね。
 
職歴は多くの大学で務められていますが、
具体的には次のとおりです。
 
1977年4月 京都大学大学院文学研究科社会学専攻研修員
1979年4月 平安女学院短期大学専任講師
1982年4月 平安女学院短期大学助教授
1989年4月 京都精華大学人文学部助教授
1992年10月 京都精華大学人文学部教授
1993年4月 東京大学文学部助教授
1995年4月 東京大学大学院人文社会系研究科教授
2009年5月 特定非営利活動法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)を設立し理事就任
2011年3月 東京大学退職
2011年4月 特定非営利活動法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長就任
2011年中に、東京大学名誉教授
2012年 立命館大学大学院先端総合学術研究科 特別招聘教授
 
 
現在までに40年以上教育の現場にいらっしゃって、
教鞭をとっておられるのは、本当に素晴らしいですね。
 
当初は社会学を専攻していたものの、
20代後半に「女性学」に出会い、
それからは、パイオニアとして
女性学を一般的に認知される学問に
仕立てあげられました。
 
女性自身を学問対象とする女性学は、
当時の千鶴子さんには画期的に映ったそうですが、
世間的には「女性学って学問?」と言われ、
悔し涙を流したこともあったとか。
 
それでも諦めず突き進んでこられたからこそ
今の千鶴子さんがあるのでしょうね。
 
教授としての活動以外にも、
書籍も多数出版されています。
 
ジェンダー論の著書として、
スカートの下の劇場」(河出書房新社)
家父長制と資本制」(岩波書店)
サヨナラ、学校化社会」(太郎次郎社)ほか多数。
 
また、近年は介護問題も取り扱っており、
著書に「おひとりさまの老後」(法研)があります。
 
 
 
 

上野千鶴子さんのご家族は・・・

 
千鶴子さんは、父、母、兄、弟がいる
5人家族でした。
 
お父さんは開業医の先生で、
お母さんは専業主婦
 
以前のインタビューでは、
お父さんお母さんの仲があまりよろしくなく、
お母さんは、「専業主婦だから離婚できない」とボヤいていたとか。
 
お父さんは、男の子の兄弟には厳しくしつけをしたそうですが、
千鶴子さんにはそのようなことはなく、
溺愛されたそうです。
 
ただそれはペットのような可愛がり方で、
当時の女性は「仕事をしないでお嫁さんになる
という一択の考えを持っていたようです。
 
千鶴子さんは、お父さんのことを、
ワンマンで自分勝手で未熟な父親」と
思い、尊敬できなかったようですが、
後になって親しい人からの
未熟でない父親がいるか?」という言葉で
気持ちが変わり、それまでの不器用であるものの、
多くの愛情を受けたことを感じ、
お父さんの介護までするようになったそうです。
 
とはいえ、お母さんのこともあり、
千鶴子さんは結婚に興味がなくなり、
仕事人間になることを選び、
今の千鶴子さんとなったようですね。
 
 
結婚に興味がなくなってしまい、
また子どもを産むことについても
悩みを持って過ごしたこともあり、
子どもを持つタイミングを逃してしまったとのことで
千鶴子さんにはお子さんはいらっしゃらないようです。
 
もちろん、結婚して家庭を持って、
子どもを産んで、といことが、
唯一の女性の成熟方法ではないですし、
逆に結婚して子どもを産んで、
人として成熟する人もいます。
 
これはどちらが良いということはなく、
人それぞれで自分の道を進めば良い、
ということですよね。
 
 
今では「おひとりさま」を
満喫していらっしゃる感もある千鶴子さんは、
利害関係ない地域の方とのコミュニケーションで、
家族がなくても全く問題ない生活をされているようですね。
 
 

まとめ

社会学者で、女性学のパイオニアである
上野千鶴子さんについてリサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
女性学のパイオニアとして
道を切り拓いてきた素晴らしい人だということが
よくわかりました。
 
これまでの経歴や想いがあったからこそ、
今回の東京大学入学式祝辞があったのですね。
 
祝辞は賛否両論ありますが、
それもまたいろいろな考えを持つ
きっかけになったのではないでしょうか。
 
今後のさらなるご活躍を期待したいですね!
 
 
 
 

天文学者 本間希樹がブラックホールの撮影に成功!宇宙の謎を解明するその経歴や家族について!

4月14日放送の情熱大陸に
天文学者の本間希樹さんが
出演されます!
 
本間さんは、最新の望遠鏡を駆使して、
宇宙にあるブラックホールを研究する
世界的プロジェクトを指揮されています。
 
ちょうどタイムリーに昨日、
世界で初めてブラックホールの
撮影に成功した、と言う報道がありましたね。
 
この報道は、
世界8箇所ほどで
同時に発表されました。
 
画像を見ると、
テレビでよくあるように、
光をも吸い込むブラックホールであることが
よくわかるものでしたね。
 
5500万光年先の宇宙にあるブラックホール、って
聞いただけではどれくらいの距離があるのか
すぐには理解できないですよね・・・。
 
 
こんな世界初のことを
やり遂げてしまうあたり、
とてつもなくすごい人ですが、
そんな本間さんは、
どんな経歴?
なぜ天文学者に?
ご家族はどんな人?
 
と、いろいろ気になりましたので、
リサーチしてみました。
 
 

本間希樹さんの経歴は・・・

https://mainichi.jp/articles/20160804/ddm/016/040/012000c

本間さんは、1971年9月生まれの48歳。
アメリカ合衆国テキサス州出身。
 
中学校、高校とは、
神奈川県にある進学校の、
栄光学園中学校、栄光学園高等学校に進学されました。
 
この学校は、中高一貫校で、
偏差値は71というまさに進学校として有名ですね。
東京大学などへ進まれる方も多いです。
 
子どもの頃から能力の高さを発揮しているようです。
 
そして、大学は東京大学。
東京大学理学部天文学科から
東京大学大学院理学系研究科天文学に進学されました。
 
その後卒業されてからの職歴は次のようになっています。
 
1996年4月〜 学術振興会研究員
 
1999年4月〜 国立天文台 COE研究員
 
2000年9月〜 国立天文台 助手
 
2007年4月〜 国立天文台 助教
 
2007年8月〜 国立天文台 准教授
 
2009年9月〜 ドイツ マックスプランク電波      
                      天文研究所 客員研究員
 
2015年3月〜 国立天文台 教授(現職)
                      総合研究大学院大学 教授(現職)
 
2015年4月〜 水沢VLBI観測所所長(現職、     
                  併任)
 
 
これだけ見ても、
天文学のエキスパートだと言うことが
わかりますね!
 
「スケールの大きな仕事がしたい」という想いから、
電波天文学の世界に入ったそうです。
 
水沢VLB観測所は、
岩手県にある観測所です。
 
現在はここで、
ブラックホールの研究をされているのですね。
 
そして希樹さんは
複数の望遠鏡を使って、データを掛け合わせることで
巨大望遠鏡を使用したのと同じ解像度を得るシステムの
第一人者です。
 
その功績から2014年「自然科学研究機構若手研究者賞」を受賞されました。
 
現在は水沢(岩手)、(小笠原)、入来(鹿児島)、石垣島(沖縄)の4基をつないで観測する
「VERAシステム」のリーダーをされています。
また、巨大ブラックホールの研究をする世界的なプロジェクトである
EHT(Event Horizon Telescope)プロジェクトの
日本の責任者でもあります。
 
 
子どもの頃から星を見るのが
大好きだったという希樹さんですが、
好きなことが仕事にできて、
さらに世界的な大きなプロジェクトを任されるまでに実力があり、
結果を残すこともできいてるなんて
素晴らしいです!
 
 

実は音楽も好き!

 
星が好きな希樹さんですが、
音楽もお好きなようです。
 
子どもの頃からバイオリンをしていて、
大学自体にはサークルのオーケストラに参加して、
10年間は熱中していたようです。
 
もちろん、今でも音楽は好きとのことですので、
研究の合間には、
バイオリンを奏でたり、
仲間と一緒に演奏したりしているのではないでしょうか。
 
音楽は、きっと良い気分転換になりますよね。
 
 

本間希樹さんの家族は・・・

このように天文学の分野で
ひとかどならぬ才能を発揮している
希樹さんですが、ご家族、
奥様やお子さんはいらっしゃるのでしょうか?
 
リサーチしてみると、
奥さんとお子さん(長女)が
いらっしゃるみたいですね。
 
希樹さんご自身は注目の人として
有名ではありますが、
一般の方には変わりはないので
奥様やお子さんの詳しい情報は公開されていませんでした。
 
現在は岩手県にある観測所でお仕事をされているため、
単身赴任中のようです。
 
ご家族といつもいられないというのは
少し寂しいですね。
 
国立天文台に勤められているので、
きっとお忙しい日常と思いますが、
世界初の仕事をやり遂げたことで
きっとご家族も嬉しかったことでしょうね!
 
ご家族と希樹さんの微笑ましいエピソードとして、
番組の中で、ご家族への取材をしたときに、
お子さんが天文部だということがわかったそうです。
 
お父さんの影響か、という問いに、
お嬢さんは、「お父さんは星座を知らないから」と
言っていたそうです。
 
ご家族と希樹さんが良い関係であることが垣間見れますよね。
 
 

まとめ

天文学者として、
世界的なプロジェクトに携わる本間希樹さんについて
リサーチしてきましたが、いかがだったでしょうか。
 
子どものころからその素晴らしい才能を開花させ、
自分の好きなことを仕事にして、
さらに大きなプロジェクトに関わり、
大きな結果を残したのは、
本当に素晴らしいことですね。
 
好きなことを仕事にする、というのは
言われてるよりも難しいことですが、
希樹さんは、それを体現されていて、
夢を持っている人すべてにとって
とても力になることですよね。
 
今後さらに活躍されて、
アインシュタインが言われた以上の
宇宙の神秘を解明していってくれることでしょう!
 
 
 
 
 
 
 

救命医 今明秀は日本救命救急のパイオニア!患者受入に●●作戦?経歴や家族についても!

4月15日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に
救命医の今明秀さんが出演されます!
 
救急医療のパイオニアとして、
業界で知らない者はいない有名な方ですが、
なぜ過酷な仕事である救命医となったのか?
経歴は?
家族はどんな人?
 
いろいろと気になったので、
リサーチしてみました。
 
 

今明秀さんの経歴は・・・

https://www.mbs.jp/jounetsu/2018/02_11.shtml

1958年生まれの60歳(2019年4月現在)。
青森県出身。
好きな食べ物は海産物。
 
1983年に自治医科大学を卒業後、
青森県大間の診療所などで
僻地医療に携わります。
 
専門は内科だったようですが、
当直のときに運び込まれた外科の患者に
なす術なく、外科医が到着するまで
何もできず、結果、その患者さんは
状態が悪化、命を落としてしまった、
ということがあったようです。
 
専門ではないにしろ、
知識としては最低限あるでしょうが、
それでは足りなかったのでしょうね。
 
医師と言っても万能にどんな病気や症状にも
対応できるわけではないから、
仕方ないことかもしれませんが、
このことがあってからは、
いろいろな患者さんを処置しなければならない
救命救急に興味を持って、
活動を始めたようです。
 
 
過酷な職業である救命救急を志望するとは、
このことがよほど悔しく、後悔したのでしょう。
 
そして、2004年には、
八戸市立市民病院救命救急センター所長
就任しました。
 
青森は、患者さんが住む場所まで行くのに
かなりの時間がかかる場合があり、
そのことにより病状が悪化することもありました。
 
一分一秒を争う現場において、
救命救急が遅れることは生死にかかわることから、
今さんが構想したのは、ドクターヘリの導入。
 
導入、と言うのは簡単でも、
実際に導入するとなると
そう簡単にはいきません。
 
通常は一人で頑張っても
導入できるものではないのですが、
今さんは一人導入に奔走して、
結果、県を動かして、
導入にこぎつけました。
 
驚異の行動力ですよね。
 
 
そして、病院前の現場出場、ER、手術室、ICU、
リハビリ、一般病棟まで受け持つ、軽重症問わず、
目の前の救急患者を救急医師が一貫して受け持つ、
日本型の救急システムの確立までも行いました。
 
このシステムは、
一刻を争う患者さんにとって、
まさに心強いものですよね。
 
専門医を待たずに治療を始めてもらえたら、
待っている間に症状が悪化する、
ましてや手遅れになるなんて可能性は低くなくなりそうですから。
 
 
2017年より八戸市立市民病院の院長に就任しています。
 
八戸ERは、1年間で2万人以上の患者さんを
受け入れているといいます。
 
その受け入れ数も多いですが、
受け入れ方法も八戸ER独特な方法で行なっています。
 
その方法とは・・・
ドクターヘリとドクターカーの同時出場
名付けて
 
サンダーバード作戦
 
です!
 
「サンダーバード」と言って、
「おー」と反応される方は、私を含めて
いい歳の方になるでしょうか(笑)
 
でも、まさに、その「サンダーバード」なのですね。
 
空と陸から患者さんを助けに行く、なんて
まさにテレビ番組が現実になった感じです。
(テレビのほうは医師のお話ではなかったかと思いますが)
 
患者さんにとってみたら、
本当に嬉しいことかと思いますし、
助かる確率も格段に上がりまよね。
 
もちろん、助けに行く側としたら、
どちらも出動させることは、
単純に二倍の稼働がかかるため
厳しいものとなっていると考えられますが、
患者さんのためを思ってこの方法をとってくれることは、
患者さんにとってみたら、
本当に心強いものとなるので、
続けてほしいですね。
 
 

今明秀さんのご家族は・・・

救急医であり、病院の院長であり、と
目まぐるしいほど忙しくされていると思われる今さんですが、
これほどまでに忙しい人の周りにいる
ご家族はいったいどのような人なのでしょうか?
 
今さんには、奥様、3人のお子さんがいらっしゃるようですね。
 
お子さんは、長男、次男、長女の構成ですが、
年齢などの詳しい情報は残念ながらありませんでした。
 
今さんご自身は有名な方ですが、
一般の方には変わりはないので、
そのご家族が公表されていないことは、
普通のことではありますが、
一体どんなふうに今さんを支えているかなどを
知りたかったので残念ですね。
 
また今後情報が追加されたら、随時更新していきます。
 
詳細な情報はなかったものの、
救急医として勤務するのであれば、
仕事の比重がプライベートよりも高くなると
思われます。
 
今さんの、これまでの功績は、
もちろん素晴らしいものですが、
それをするには、ご家族の理解と協力が
不可欠だったでしょう。
 
こう考えると、
今さんのご家族もまた素晴らしい方ですし、
患者さんの助けになっていたわけですね、
 
 

まとめ

今も第一線で活躍されている救急医の今明秀さんについて
リサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
救急医として、今も現場の第一線で活躍されるだけでなく、
救急のシステムの確立や
ドクターヘリの導入などに
尽力されてきた、
まさに救急を必要とする全ての人にとって、
本当に頼りになる方でしたね。
 
これからもご自身の体には気をつけていただきつつ、
たくさんの人を助けていって欲しいと思います!
 
 
 
 
 
 
 

放浪の菓子職人 小幡寿康の経歴!救われた店舗について!

4月8日放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」に
菓子職人の小幡寿康さんが出演されます!
 
小幡さんは、「放浪の菓子職人」という異名を持つ職人さんですが、
「放浪の」というのは気になりますよね。
 
小幡さんは一体どのような人?
経歴は?
家族はいるの?
 
いろいろと気になりましたので、
リサーチしてみました!
 
 

小幡さんの経歴は・・・

https://www.nhk.or.jp/professional/2019/0402/index.html

小幡寿康(こばた としやす)さんは、
1947年生まれの72歳。
 
出身地などの詳細情報は、
一般の方だからか公表がなく
不明です。
 
現在、あんこ職人を職業とされていますが、
特定の和菓子屋に所属されず、
また、自分の店舗も持つことなく、
日本全国の菓子店に店から店へ渡り歩いて
ご自身の技術を基に指導をされています。
 
これまで関わってきた菓子店は、
30店以上と言われ、
放浪の菓子職人」という異名で
呼ばれています。
 
この異名、カッコいいですね!
 
これまで、どのような経緯で、
和菓子職人、中でも、
あんこにこだわったあんこ職人になったのか、
は公表されてきませんでしたが、
今回のテレビ出演で、
そのきっかけや理由が明かされそうです。
 
和菓子に興味が無い人も、
小幡さんが「放浪の菓子職人」になった
理由などは、
気になりますよね!
 
 
小幡さんの技術は、
元来のあんこ作りからみると、
型破り」とか「破天荒」とか言われているようです。
 
実は、その小豆の炊き方に秘密があって、
小豆本来の香りや味を秘めたあんこは
極上」とされ、
有名な老舗菓子店の職人さんでもできない炊き方と言われています。
 
その炊き方を教えることで、
30年もの長い間、今も店から店へ
渡り歩いていけるのですね。
 
 
今まで関わってきた店舗の中でも
特に有名なのは・・・
 
六花亭(北海道札幌市)
赤福(三重県伊勢市)
村の果菓子屋(宮崎県東臼杵郡)
 
・・・といったところです。
 
お菓子に詳しくなくても
どこかで一度は聞いたことが
あるのではないでしょうか?
 
六花亭は洋菓子のイメージが強かったですが、
あんこを使ったお菓子もあるようですぬ。
 
赤福は見た目からも、あんこが最重要なポイントなので、
ここがぼやけると商品の売れ行きも良くなくなってしまいます。
 
ですので、
小幡さんの技法を取り入れた赤福は
さらにパワーアップしたことでしょう。
 
上にあげた菓子店以外にも、大小様々な菓子店で
その手腕を発揮し、
それぞれの店の再建の手助けをしてきたようです。
 
依頼したお店にとっては、
今までのあんこがさらに美味しくなるでしょうし、そのおかげでお店も再建できたので
本当に助かったでしょうね。
 
和菓子などの基となる技術については、
大抵は確立されていることが多く、
一般的な菓子店は、
それら、「昔ながらの」技術を踏襲して、
味を作っていくのが一般的ですよね。
 
ただ、これについては、
昔ながらの味を変わらず出せることで
安心感はあるものの、
全く新しいものを作り出すことは
なかなか難しいというデメリットもあります。
 
しかも、お店の味として、
確立したものがあると、
全く新しい商品を出すことは、
既存のお客様に受け入れられないという
危険性もあります。
 
それでも、昔からの名店からも
小幡さんに依頼があるのは、
型破りな手法というだけでなく、
その店ごとにあったものにも
仕上げていけるという
他には無い特異な技術があるからでしょう。
 
小幡さんに教わりたい、という
菓子店からは、
これからも依頼が止まないようでしょうね。
 
 
 

小幡寿康さんのご家族は・・・

 
店から店へ、依頼がある地へ赴いて、
あんこ作りを教えていく小幡さん。
 
72歳というお歳からも、
ご家族はいらっしゃるだろうとは思いますが、
小幡さんのお仕事に合わせて
一緒に移動されていたりするのでしょうか?
 
気になって調べたものの、
詳細な情報については
公開されておらず
わかりませんでした。
 
まあ、確かに菓子業界、
特に和菓子業界では、
超がつくほどの有名人ですが、
ご家族について公開する必要は
ないですからね・・・。
 
とはいえ、
日本全国の菓子店にあんこ作りを教えられるほどの人が
店舗を持たずに
店から店へ流れていくことについて
周りで支える方たちが
どんなふうに感じているのか
知りたかったので残念ですね。
 
番組内ではそのことについても
語られるのか、期待されます。
 
もちろんご家族のご理解がなければ、
こういった生活はできないでしょうから、
周りで支える人達が、
小幡さんの考え方に賛同して、
サポートしているという、
素晴らしいことに変わりがありませんよね。
 
 

まとめ

「放浪の菓子職人」の異名を持つ、
小幡寿康さんについてリサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
特定の自分の店舗を持ったり、
菓子店に属したりもせずに、
店から店へ渡り歩いて
その他にはない小豆炊きの技術で、
30店以上のお店を救済してきたのは、
普通ではできないことですし、
本当に素晴らしいことですよね。
 
これからもきっと、
この類まれな技術で、
日本全国のお店の味を守り、
助けてくれることでしょう。
 
日本全国に美味しいお菓子が
たくさん増えていくと良いですね!
 
 

イケメン柔道家阿部一二三の柔道経歴は?家族は何をしているの?彼女についても!

4月7日に放送される
全日本柔道選抜体重別選手権2019」に
柔道家 阿部一二三(ひふみ)さんが出場されます!
 
イケメンで柔道も強く、
2020東京オリンピックで最もメダルに近いと言われている
一二三選手ですが、どのような経歴の持ち主なのでしょうか?
その経歴や家族、彼女など、
いろいろと気になりましたので
リサーチしてみました。
 

阿部一二三選手の経歴

https://www.mbs.jp/jounetsu-old/2017/09_10.shtml

1997年8月9日生まれの今年で22歳。
兵庫県神戸市出身。
 
身長167cm、体重は66kg級。
柔道四段
 
6歳の頃にテレビで柔道を見て、
そのカッコよさに影響を受け、
柔道を始めます。
 
カッコよさに憧れて始めた柔道でしたが、
最初は練習に行くのが辛かったようで、
いつも泣いていたそうです。
 
そんな姿を見かねた2歳上のお兄さんが
一緒に道場に行ってくれていました。
 
少しずつ慣れてきて、泣かなくなってから、
お兄さんは柔道を辞めたようです。
 
優しいお兄さんですね。
お兄さんがいなかったら、もしかしたら、
今の一二三さんはなかったかもしれないです。
 
小学3年生のころは、 女子選手の鍋倉那美選手に
豪快に投げ飛ばされて、とても悔しい思いを味わってから、
練習に身が入るようになったようです。
 
それでも、小学生の時は、練習はしていたものの、
大きな成果はでなかったよう。
そして、鍋倉選手に結果的に一度も勝てなかったようです。
 
鍋倉選手、すごいですね・・・。
 
 
神戸生田中学校に進学した、中学校の頃には、
その才能が爆発します。
2年生の時に、全国中学校柔道大会55kg級で優勝、
3年生に60kg級で優勝、
そして、アジアユース大会でも優勝、と
将来の日本の柔道界を背負って立つエースとしての
片りんを見せつけました。
 
 
神港学園神港高校へ進学した高校生の頃には、
柔道の強豪校とは言えなかった高校が
一二三選手に沿った練習メニューを組んでもらえたので、
結果的に一番リラックスして最高のバックアップを得られた
高校生活だったようです。
 
高校生の時に、世界カデで2連覇したり、
12月グランドスラム大会制覇。これは
本当にすごい記録で、17歳8か月の制覇は、史上もっとも早いです。
 
 
大学は日体大に進学します。
 
入学した4月の講道館杯で選抜体重別優勝
11月の講道館杯でも優勝、この時妹の詩さんも優勝し、
兄妹で初の同時優勝を果たしました。

https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180922/spo1809220008-n1.html

 
兄妹ともに、柔道が好きで、強い、というのは
とてもうらやましいことですね。
 
これ以外にもこれまで主だった次の試合で、優勝、
金メダルを獲得しています。
 
【大学在学中に獲った金メダル】
グランドスラム東京(2016、2017)
グランドスラムパリ(2017)
グランドスラムエカテリンブルク(2018)
 
世界柔道選手権大会
ブタペスト(2017)
バクー(2018)
 
 
まさに、日本の66kg級のエースですよね。
 
今後、さらに金メダルを量産し、
2020オリンピック東京大会でも、
活躍が期待できそうですね!
 
 

一二三選手の家族について

 

 
一二三選手には、お父さん、お母さん、兄、妹がいらっしゃいます。
 
5人家族ですが、全員柔道家か、というとそんなことはありません。
 
3歳下の妹のさんが52kg級で柔道をやっているくらいで
あとは2歳上のお兄さんが子どものころやっていて、
一二三選手と道場に通っていたようですが、
今は選手ではないようです。
 
詩さんについては、今も一二三さんと同じように、
有名どころの大会で優勝できるような人材です。
 
2020オリンピック東京大会での活躍も期待されていて、
もしかしたら兄妹同時表彰台、なんて快挙も起こるかもしれませんね。
 
頑張ってほしいです!
 
詩さんは、この一番上のお兄さんが柔道のセンスが最も上だったと
言われているので、
やられていたときは相当うまくて、
今後を期待されていたかもしれませんね。
 
その後お兄さんは水球の道に進んだようですが、
その後については、公開情報がなく、
具体的な状況についてはわかりませんでした。
 
きっと今の環境でも素晴らしい結果を残している方でしょうね。
 
 
一二三さんのお父さんは浩二さんといって、
消防士のお仕事をされているようです。
柔道の経験は特にないようですが、
肉体的にも精神的にも厳しいお仕事を
こなせるお方であるようですね。
 
一二三さんのお母さんはさんといって、
喫茶店を経営されています。
 
お母さんの実家が元々喫茶店経営をされていたようで、
それを引き継ぐ形となっているようです。
 
喫茶店は兵庫県神戸市の市営地下鉄の和田岬駅近くのようです。
 
カレーが評判のお店のようですが、
お客さんにとってみたら、
一二三さんのお母さんがやられている喫茶店ということで
訪れる方も多かったことでしょう。
 
ただ、昨年は休業されていたということ情報もありますが、
現状はどうなのでしょうか。
詳しい情報がありませんでしたので、
機会があれば訪れて真偽を確かめてみたいですね。
 
 

一二三さんの彼女について

一二三さんは、写真を見るとわかるとおり、
かなりの「イケメン」ですね。
 
柔道でもトップクラスの実力の持ち主で、イケメン、
しかも、筋肉もスゴイ、ときたら、
きっと周りの方がほっておかれないでしょうから、
お付き合いされている彼女もいそうですね。
 
これまでネット情報には、
みつき」さんという方が彼女のお名前らしい、
ということで名前を挙げられています。
 
一度お別れしてから、また付き合いだした、ということを
ご本人のTwitterでつぶやかれていた、という情報もありますので、
今もお付き合いされているかもしれません。
 
お写真などはなかったのですが、
これから幸せな報告が聞かれると良いですね!
 
 

まとめ

2020オリンピック東京大会でも、金メダルを狙えるほどの
柔道家、阿部一二三さんについてリサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか。
 
ご家族が柔道一家というわけでないのに、
ここまでの実力があるとは、
ご自身のセンスもそうですが、
きっと並々ならぬ努力をされてきたのだと思います。
 
これからも、
いろいろな大会でその努力が報われていくといいですね!
 
応援していきたいと思います!

フラワーアーティスト「花人」の赤井勝の人気の理由は?花と共に生きる経歴や家族について!

4月7日放送の情熱大陸に
フラワーアーティストの赤井勝さんが
出演されます!
 
赤井さんといえば、
北海道洞爺湖サミットの会場や、
世界遺産の上賀茂神社などのフラワーアレンジを担当したり
在日大使館の夫人の方々が、
こぞってそのフラワーレッスンに通う、という、
今、大注目のフラワーアーティストです。
 
経歴は?
なぜ、そこまで人気なの?
どんな家族がいる?
などなど、気になりましたので
リサーチしてみました。
 
 

赤井勝さんの経歴

https://www.mbs.jp/jounetsu/2019/04_07.shtml

1965年大阪府出身の53歳(2019年4月現在)。
 
花という素材をとおして、心を伝えていくことが、
勝さんのお仕事だと認識されているようで、
自分のことを「花人(かじん)」と呼んでいます。
 
 
祖父母は淡路島で花農家、
母は大阪で花店を経営していました。
 
このような家庭環境だったので、
勝さんは幼いころから生け花を習い、
10代でフラワーデザインを学びました
 
野球をやっていたようですが、
高校に入ったところで、
その実力差から3日で中退をしてしまったのだとか。
 
野球に対する思い入れがとても強かったのでしょうね。
 
15~21歳まで花店に勤務していましたが、
その後、自身での創作活動の範囲を広げて、
在大阪ロシア連邦総領事館のフラワーアレンジメントを行いました
 
この仕事がうまくいったことで、
在日各国大使夫人へのフラワーレッスンを始めます
 
このフラワーレッスンが大人気!
在日各国大使夫人たちは、勝さんのフラワーレッスンに
通うようになります。
 
さらに、フラワーレッスンの他にも、主に次のような仕事をしてきました。
 
・ローマ法王ベネディクト16世に献花
・ローマ教皇パウロ16世ホールにオフジェ制作
・北海道洞爺湖サミットのフラワーアレンジ
・世界遺産上賀茂神社でのイベント
・伊勢神宮式年遷宮の献花奉納
・フランスのルーブル美術館のイベント
 
そして、今年2019年春には大阪の追手門学院大学の客員教授に就任して、
大学生に教鞭をとります。
 
いろいろな方面で、正に大活躍ですね!
 
 

赤井勝さんが人気の理由は・・・

赤井勝さんがこれほどまでに人気がある理由とは、
一体どんなところなのでしょうか。
 
もちろん、花を扱うセンスの良さ、というのが
あるのは前提なのですが、
勝さんが他の華道やフラワーデザインの先生とは
違うところがあるのです。
 
実は、勝さんは、花は見る人を心地よくしておもてなしをする、
準備や飾りつけのための花、というモットーを持っているので、
自らが飾る花は、「装花(そうか)」と呼んでいます。
 
勝さんにとって、花が主役で、スタイルや様式を究めるもの、という
認識はなく、見る人が主役で、その主役を気持ちよくさせるものだ、という
意識が強いのですね。
なので、「華道」や「フラワーデザイン」とは呼ばないことに
こだわりを持っているようです。
 
このこだわりは、きっと今華道に携わっている人にとっては、
新しい考え方ですよね。
 
さらに、「花を活ける」という堅苦しい感覚ではなく、
形式などは取り払って、「花と遊ぶ」という感覚を大事にしたい、
という理念のもと活動しています。
 
この理念があるおかげで、
有名ブランドや国を挙げてのイベントなどに参加する一方で、
普段の生活の一部として花を取り入れたり、
大切な人に花を贈る際の贈り方のヒントなども発信しています。
 
大きな仕事をしているからといって、
お高く留まるのではなく、
本当に花が好きで、その花についていろいろな場面で、
いろいろな人にその魅力を伝えていきたい、という姿勢が
勝さんの一番の魅力なのかもしれませんね。
 
 

赤井勝さんの家族ってどんな人たち?

これほどまでに、人気の赤井勝さんのご家族とは、
どのような人たちなのでしょうか?
 
勝さんには、奥さんと二人のお子さんがいらっしゃるようです。
二人のお子さんは、二人とも息子さんです。
 
勝さんの奥さんは弘美さんというお名前だそうです。
弘美さんとは、勝さんが21歳で独立した時に結婚されたようですね。
 
結婚の際には、勝さんがお手製のブーケをプレゼントしたのだとか。
お花の魅力を十二分に引き出した素晴らしいブーケだったでしょうね。
 
その弘美さんですが、勝さんが「花に近づきたい」という想いから
自身のまつ毛にエクステンションをかけたときに、
激怒したことがあるとか。
 
確かに、「何を考えているんだ!」と思われても
仕方ないかもしれませんね・・・。
 
勝さんにとってみたら、
それは本当に大真面目だったのかもしれませんが(笑)
 
 
ちなみに、勝さんは、花が好きすぎで、
もっと花の気持ちがわかりたいから、花になりたい」と
思うことがあるそうですよ。
 
これは・・・
花好きなのは筋金入りのようですね。
 
 

まとめ

フラワーアーティスト、花人の赤井勝さんについて
リサーチしてきましたが、いかがだったでしょうか?
 
勝さんは、本当に花が大好きで、
その大好きな花の魅力を伝えるために、
「装花」をしたり、情報を発信したりしていることがわかりました。
 
その気持ちが皆に伝わり、
このように人気の人になったのです。
 
これからも素晴らしい作品や
花の情報を発信してほしいですね!
 
 
 

薄皮饅頭の柏屋社長本名善兵衛の経歴が気になる!先代の人柄や家族について!

4月4日放送の「カンブリア宮殿 」に
和菓子メーカー「柏屋」の社長の本名善兵衛さんが
出演されます!
 
日本三大まんじゅうとして有名な
「薄皮饅頭」を販売する柏屋さんの
代表者である本名善兵衛さんは、
一体どんな人なのでしょうか?
 
経歴や家族について、
気になったことを調べてみました。
 
 

本名善兵衛さんの経歴

https://mediarocket.jp/1656

1955年2月14日生まれの64歳。
福島県郡山市出身です。
本名は、幹司さんと言います。
 
福島県立安積高等学校を卒業し、
東京農業大学短期大学に進学しました。
 
音楽が大好きだったようで、
中学から大学までの間、
 
・ブラスバンド
・オーケストラ
・フォークバンド
・ロックバンド
 
と、いろいろな形で音楽に触れ、
一時は音楽の道で生きることを
目指していたようです。
 
 
しかし、お菓子の魅力のほうが音楽よりも勝り、
1977年に実家の柏屋に入社されます。
 
 
音楽の魅力も強いものだと思いますが、
それよりもお菓子のほうの魅力が勝って実家の家業をするとは、
お父さんやお母さんなど家族からしてみたら、
きっと嬉しいことだったでしょうね。
 
 
そして1986年には、柏屋の代表取締役に就任しています。
 
さらに2012年には、5代目「本名善兵衛」を襲名
名実共に家業を継ぐことになりました。
 
そして、現在も、
柏屋の代表取締役として、
柏屋の「薄皮饅頭」を日本三大まんじゅうを
さらに、世界に認められるような日本の文化にしようと、
いろいろな活動を行っています。
 
根底にあるのは、
お客様に対する姿勢。
 
柏屋だからこその喜びを提案して、
楽しんでもらいたい
 
この姿勢を一貫することで、
これまで先輩たちがやってきたことに
感謝し、
これからもさらにお客様に対して
末永く楽しんでもらい、
一番大切な「信用」を勝ち取る。
 
 
大変なこともあるものの、
この姿勢をブラさずに
奮闘しています。
 
 

柏屋の先代達はすごかった!

 
このように、
5代目善兵衛さんは先代達が柏屋を作り、
育ててきた今までの伝統や会社を守り、しっかり育てています。
 
先代はどのような人達だったのでしょうか?
公開されているエピソードをリサーチしてみました。
 
 

・初代

1852年に
病に薬がいるように、健やかな者に心の和みがいる
という想いから、
当時無かった皮が薄く餡がたっぷりと入った饅頭を考案。
広く評判となりました。
 

・2代目

当時の大地主から薄皮饅頭以外の菓子を作るよう依頼(命令)されたとき、
その後の不遇覚悟で「他の菓子屋のマネはできない」と依頼を断るくらい、
菓子屋としての誇りと薄皮饅頭に愛着を持っていたようです。
 

・3代目

第二次世界大戦終戦後、なかなか良い材料が手に入らず、
3年かけてお菓子作りを再開。
周りのお菓子屋が人工甘味料などで妥協して再開しても
のれんに恥じるものなら、作らないほうがマシ」との
薄皮饅頭想いからでした。
 

・4代目

世界初の自動包みあん機を発明しました。
なかなか3代目からOKがもらえず、
改良を重ねてきてやっと合格。
 
その他、昔ながらの「縁側でお茶を飲み、語らう」風習の再現のため、
朝からお茶や菓子を振る舞う「お茶会」を始めました。
 
自動包みあん機やお茶会など、
ただ先代を踏襲するだけでなく、
新しく時代にあった企画をするなど
今後の発展に寄与しています。
 
自らを「饅頭で一生を棒に振る男」と言っているところは、
一見すると揶揄しているように見えますが
逆に饅頭への愛着がとても感じられますね。
 
初代から4代目まで、
饅頭への愛着、お菓子屋さんとしての誇り、お客様への誠実さ
が一貫されていましたね。
 
これらが、今の5代目善兵衛さんにも脈々と受け継がれているようです。
 
客の立場からすると、
嬉しいことですよね!
 
 

5代目善兵衛さんの家族

善兵衛さんのご家族の情報は、
一般の方なので、公開はされていませんが、
会社役員の中に同じ苗字の方がいらっしゃいました。
 
取締役:本名美和子
監査役:本名マリ子
 
これらの方がご家族だと思われます。
 
柏屋さんは、いわゆる家族で会社役員になっている
同族経営の企業のようですね。
 
日本の企業は、上場企業でなければ、
同族経営が多いかと思いますので、
柏屋さんも同様といったところでしょうか。
 
それにしても、昔からの優良企業の柏屋さんの役員を
ご家族で占められているとなると、
ご家族全体の収入もかなり高額となりそうですね。
 
上場企業でないので役員報酬は公開されていませんが、
柏屋さんは年商約40億円と言われているので、
役員の報酬もそれなりとなるでしょう。
 
うらやましい限りですが、
その分、お客様に対して良いサービスが提供されているのであれば、
報酬が高額でご家族として潤ってもらったほうが、
これからも継続して良い商品、サービスが
提供されるので、結果的に客である我々にも
良いことではありますよね。
 

まとめ

柏屋5代目本名 善兵衛さんについて
リサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
日本三大饅頭の薄皮饅頭を、
世界的にも有名なものにしようと
奮闘されつつ、
お客様に対してもとても誠実な方だと
わかりました!
 
この想いが、柏屋というお菓子屋さんを形作り、今の人気があるのですね!
 
今後も美味しいお饅頭に期待できそうです。

競泳選手 大橋悠依は遅咲きの実力者!支える家族や彼氏について!

 4月2日放送の第95回日本水泳選手権に
競泳選手の大橋悠依さんが出場されます!
 
大橋選手といえば、
今や日本を代表する実力者ですが、
遅咲きのスイマーと言われることも
あるようです。
 
大橋悠依さんはどうして競泳選手になったのか?
経歴は?
家族は?
彼氏はいる?
 
いろいろと気になりましたので、
リサーチしてみました。
 
 

大橋悠依さんの経歴

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-04010564-nksports-spo.view-000

1995年10月18日生まれの23歳。
滋賀県彦根市出身です。
 
三姉妹の末っ子で、お姉さんの影響を受け、
幼稚園から「彦根イトマンスイミングスクール」で
水泳を習い始めました。
 
中学校は彦根市立東中学校に進学。
中学3年生のときに、
ジュニアオリンピックの女子200m個人メドレーで優勝!
素晴らしいですね!
 
高校は、滋賀県立草津東高等学校で、
水泳でインターハイにも出場していますが、
残念ながら注目を集めるレベルではなかったようです。
 
そして、高校を卒業後、
東洋大学に進学しました。
 
東洋大学は、
日本水泳連盟理事や競泳日本代表のヘッドコーチ、
平井伯昌さんが率いている強豪校ですから、
水泳で強くなりたい人にとって、
とても良い環境ですね。
 
 
ちなみに、同じ東洋大学には、
陸上の桐生祥秀さんがいますが、
桐生さんとは中学校からの幼馴染と言われていますが
実はあまり接点はなかったようです。
 
同じ大学になって同じ講義を取ることもあったようで、
そこからつながるようになったようですね。
スポーツで秀でる人たちは、
どこかでつながるとになるのでしょう。
 
 
ここまで、順風満帆な道のりのような気もしますが、
実は大学2年生までは、貧血などで思うような結果がでなかったのです。
 
そこで、アサリなどで食生活を見直し、
体質を改善。
 
それと同時に、大学の1年先輩の
荻野公介さんとスペインでの高地合宿に参加、
荻野さんの泳ぎの技術を間近で学ぶとともに、
高地でのトレーニングからスタミナも以前に比べて
驚くほどアップしたようです。
 
そして大学4年生でやっとその才能が開花し始めます。
 
2017年4月、第93回日本選手権水泳競技大会兼世界選手権代表選考会の
400m個人メドレーに出場すると、
4分31秒32の日本新記録で優勝!
 
この記録はこれまで清水咲子さんが保持していた日本記録を
3秒24も縮めた快挙。
同年7月の世界水泳大会日本代表に内定しました。
 
同大会では、200mの個人メドレーでもライバルの寺村美穂さんとの
戦いに勝利し、
優勝を手にしたため、この種目でも世界選手権日本代表に内定。
 
 
2018年3月には東洋大学を卒業後、イトマン東進に所属しました。
 
翌月に開催された、
第94回日本選手権水泳競技大会の400m個人メドレーに出場、
4分30秒82の日本新記録をたたき出し、
2年連続で優勝を飾りました。
 
 
2018年は他にも、パンパシフィック水泳選手権では、
女子400m、200mそれぞれの個人メドレーに出場、
どちらも優勝して金メダルを手にしました。
 
さらに、アジア競技大会では、
女子400m個人メドレーで優勝、
200m個人メドレーで準優勝
という輝かしい結果を残しています。
 
連覇するとは、以前の大橋さんからは、
想像もつかないような素晴らしい結果ですね!
 
水泳で勝ちたい、という想いと、
努力の賜物で、
以前よりもさらに強い、
勝てる競泳競技者となったようです。
 
今回開かれる第95回日本水泳競技大会では、
3連覇がかかっていますよね。
 
応援するこちらにも力が入ってしまいそうです!
 
 

大橋さんの家族や彼氏について

 
今や競泳界の実力者で、2010年の東京オリンピックには
メダルも期待できる大橋さんですが、
ご家族はどのような人たちなのでしょうか?
 
お父さんについては、お名前はわかりませんでしたが、
大橋選手にとっては本当に優しいお父さんのようです。
 
Twitterで、以前お父さんへの感謝の気持ちを
つぶやいていたこともありました。
 
水泳で頑張る娘を、優しく見守るお父さんは、
きっと大橋選手にとって安心できる拠り所
なっているのでしょうね。
 
 
大橋選手のお母さんは、加奈枝さんというお名前です。
 
大橋選手の大学時代の貧血で、体調が厳しかったころには、
とても心配されたようですが、食生活の改善などで、
徐々に復活してきたときは、ほっと安心したでしょうね。
 
大橋選手は、加奈枝さんが作る料理が大好きのようで、
特に「小鮎の煮つけ」が大好物ということです。
 
お母さんの料理が美味しい、というのは
子供にとってとても嬉しいことですよね。
 
 
そして、大橋さんは、3姉妹の末っ子です。
 
お姉さんたちが水泳を習っていた影響で、
悠依さんも水泳を習い始め、現在に至るのですから、
もし、お姉さんたちが水泳をやっていないかったら、
「競泳の大橋悠依選手」は今、いなかったかもしれませんね。
 
お姉さんの影響力にファンとしては感謝ですよね!
 
 
そして、気になる彼氏について、ですが、
リサーチしてみましたが、特に情報がありませんでした。
 
ただ、「水泳界の竹内結子」と呼ばれるほど、
綺麗な方ですので、周りの人がほっておかない気がしますが、
今は水泳に集中したいのかもしれませんね。
 
ただ、嬉しい報告は、時がくればすぐにでも
聞こえてきそうですので、
楽しみにお待ちしましょう!
 
 

まとめ

日本女子競泳、注目の実力者、
大橋悠依さんについてリサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
体調不良等で遅咲きではあるものの、
今では、日本選手権や世界選手権での常連となるまで
実力を伸ばしてきました。
 
もっと上に行きたい、という強い想いが、
厳しい練習や体質の改善などを成功させたのでしょう。
 
翌年に迫った、オリンピック東京大会でも、
大いに活躍してくれることを期待したいですね!
 
 
 
 

天才ヴァイオリニストの木嶋真優の性格は意外にも天然!?経歴や家族、彼氏についても!

4月1日の深イイ話2時間スペシャルに、
天才ヴァイオリニストの木嶋真優(きしま まゆ)さんが
出演されます!
 
木嶋さんといえば、過去にも、
情熱大陸やTEPPEN、しゃべくり007などなど、
テレビ出演も多い、人気ヴァイオリニストですが、
一体どんな人なのでしょうか?
 
経歴や家族、ご結婚されているのか、
などなど、
気になりましたので、リサーチしてみました。
 
 
 

木嶋真優さんの経歴とは

https://www.watanabepro.co.jp/mypage/61000020/

木嶋さんは1986年12月13日生れの今年で33歳です。
兵庫県芦屋市出身。
 
芦屋といえば、お金持ちのイメージがありますが、
やはり、小さいころから音楽に触れている、となると、
お金持ちのイメージがありますね。
勝手なイメージですが。
 
そのイメージは別にして、
木嶋さんは、3歳のころからヴァイオリンを始めたそうです。
 
最初の頃はあまり熱心ではなかったようですが、
5歳のころに、プロのヴァイオリニスト五島みどりさんの
公開レッスンでその音色を聴いてとても感動し、
五島さんのような音楽を奏でたいと思ってから、
ヴァイオリンに熱心になったようです。
 
9歳のころに宮﨑国内室内楽音楽祭でアイザック スターンさんの
レクチャーコンサートに参加しました。
 
そして同じ年になんと、オーケストラデビューを果たします。
 
9歳でオーケストラデビューとは、子どもの頃から実力は
ずば抜けていたのですね。
 
1998年には第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会小学生の部で
1位を獲得
 
翌年の1999年には、日本クラシック音楽コンクール全国大会で
最高位を受賞!(1位無しの2位)
 
2000年にはカーネギーホールなどでブルッフのコンチェルトなどを
演奏しました。
同年、リピンスキ ヴィエニヤフスキ国際コンクールジュニア部門で
最高位を獲得(1位無しの2位)!
 
2011年ケルン 国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝!
同時に David Garrett賞も受賞
 
2012年に留学先のケルン大学を首席で卒業する、といった
快挙を達成。
 
2015年にはケルン大学院も首席で卒業し、
ドイツの国家演奏家資格を取得
海外でもその実力をいかんなく発揮されていますね。
 
これらの活躍から2016年神戸市より神戸市文化奨励賞を受賞しました。
 
国内外でもその評価が高いことがうかがえますね。
 
そして、2016年には、
第1回上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールにて優勝!
史上最多の賞金で賞金女王となります。
 
賞金女王・・。
なんとも素晴らしい響きですね(笑)
 
もちろん、賞金女王としてだけではなく、
巨匠ムスティラフ・ロストロポーヴィチ
世界で最も優れた若手ヴァイオリニスト」と
認めらています。
 
 
そして、本業の音楽活動だけではなく、
現在では、テレビ出演も多く、
しかも後進の育成にも力を入れているようですね。
 
 

木嶋真優さんのご家族は・・・

このように、子どもの頃から現在まで、
そのヴァイオリンの稀有な能力を如何なく発揮して
大活躍の木嶋さんですが、
周りのご家族はどんな人たちなのでしょうか?
 
やはり、これだけの才能をお持ちなので、
ご家族もヴァイオリニストだったりするのでしょうか。
 
リサーチしてみると、
お父さんは正憲さんといって、音楽好きな方ではあるようですが、
何か特定の楽器を奏でるプロ、というわけではないようです。
 
お母さんのほうは、ピアノ演奏家のようですね。
 
ヴァイオリニスト一家なのでは?と思いましたが、
そうではなかったのは少し驚きですね。
 
ただ、小さいころから音楽に触れる環境だった、
ということは
間違いないようです。
 
お母さんのほうは、真優さんに
ピアノを習わせたかったようですが、
真優さんの手が小さい、という理由から、
ピアノは断念したようです。
 
それで代わりに習い始めたヴァイオリンで、
このような天才っぷりを発揮しているのですから、
人の才能というのは、本当に不思議なものですよね!
 
 

木嶋真優さん、結婚している?彼氏はいるの?

 
天才プロヴァイオリニストの真優さん、
お歳から考えて、
ご結婚されていてもおかしくはないですよね。
 
リサーチしてみましたが、
現在はご結婚はまだのようですね。
 
では、特定の彼氏さんはいらっしゃるのでは、と考えましたが、
こちらも詳しい情報はなく、
現在はいらっしゃらないようですね。
 
美人としても紹介される真優さんですから、
本当にお綺麗な方ですので、
これから嬉しい報告がされることもあるでしょうね。
 
 

実は真優さんの性格は・・・

国内外でその実力を認められる真優さんですから、
さぞ、性格もしっかりとした方なのだろうと思いましたが、
実は、「天然」の方のようで・・・。
 
テレビ出演やSNSで見かける素の真優さんは、
明るく元気で少し(だいぶ!?)天然の方、という印象を受けました!
 
ヴァイオリンでは、しっかりとした素晴らしい演奏をされていて、
ヴァイオリンを離れると、天然で明るい女性。
素晴らしい魅力ですね。
 
この魅力のおかげで、
きっとメディア出演が増えているのでしょうね。
 
もちろん、そのギャップにやられてしまうファンの方も
多いと思いますので、
今後もさらに、人気を博していくことでしょう。
 
 

まとめ

天才ヴァイオリニストとして名高い、
木嶋真優さんについてリサーチしてみましたが、
いかがだったでしょうか?
 
国内外から絶賛されるヴァイオリニストとしての面もさることながら、
天然で明るい方、というのもとても魅力的でしたね。
 
これからも、きっと素敵な演奏を届けてくれることでしょう。
 
楽しみですね!
 
 
 

動物写真家 岩合光昭は大の猫好き!猫の他の家族や子どもについて!

 4月1日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に
写真家の岩合光昭さんが出演されます!
 
岩合さんは、主に動物を撮る
動物写真家」なのですが、
一体どのような経歴の方なのでしょうか?
 
家族は?
子どもはいるの?
 
いろいろと気になりましたので、
リサーチしてみました。
 
 

岩合光昭さんの経歴は?

https://www.olympus.co.jp/features/iwago/profile/

岩合さんは、1950年11月27日生まれの69歳。
東京都出身です。
 
法政大学第二高等学校、法政大学経済学部を卒業しました。
 
お父さんの徳光さんが、動物写真家だったこともあり、
子どものころから写真に親しんでいました。
 
大学在学中の1970年、お父さんの徳光さんのアシスタントとして、
ガラパゴス諸島を周遊して、その自然の美しさに感動したため、
大学卒業後、動物写真家として活動を始めます
 
お父さんと同じ道を歩むなんて、良い親孝行でもありますよね。
 
活動開始後は、世界中で野生動物を相手に、
写真を撮っているようです。
 
岩合さんの撮る写真は、世界でもとても高評価で、
中でも、その色彩とコントラストが海外メディアから
IWAGO’S COLOR」と賞賛されたこともありました。
 
1982年~84年までアフリカ・セレンゲティ国立公園に家族と共に滞在し、
その後、その時の取材を写真集『おきて』で発表。
全世界で20万部を超えるロングセラーとなっています。
 
さらに、表紙のライオンの親子の写真は、日本人写真家として初めて
ナショナルジオグラフィック」誌の表紙(1986年5月号)を飾るという
快挙を成し遂げました。
 
そして1994年12月号でも雪玉を抱えた子ザルの写真が
表紙になりました。
 
過去にも先にも、
この「ナショナルジオグラフィック」誌の表紙の写真を
2回も飾った日本人は今のところいません
すごいですよね!
 
そして、これだけ見てみても、
岩合さんの実力は折り紙付きですよね。
 
岩合さんは野生動物の写真が多いですが、
実は身近にいる猫や犬についても写真も撮っている
超有名な方でもあります。
 
特に猫を題材にした写真集は、
かなり高く評価されていて、
初めて監督作品として映画「猫とじいちゃん」を撮っています。
 
この映画、タイトルからいって内容が気になりますね。
写真家の岩合さんだからこその美しい映像にも期待ですね。
 
1989年から、NHKとパートナーシップをとって
協同した 「MITSUAKI IWAGO’S NATURE WORLD」。
 
カナダの北極圏内で北極クマを追ったり、
中国での撮影を行っています。
これを基にDVDや書籍などになり、
その後もハイビジョン撮影を行っています。
 
そして、1997年からデジタルカメラを使用して、
山梨県の自宅周辺の自然を
一日一枚、366枚撮ったデジタル写真集 、
岩合光昭デジカメ日記」を刊行。
 
現在も精力的に撮影を行っていますが、
年齢からいってもすごいことですよね!
 
元々のスキルの高さに人生経験の深みがプラスされることにより、
さらに素敵な写真を撮れるようになっているのでしょうね。
 
 

岩合さんの飼い猫とは・・・?

岩合さんは野生動物も撮りますが、
身近な動物も撮影対象にしていて、特に猫好きのようですね。
 
今まで飼っていた猫は次のとおりです。
 
海ちゃん(kaichan)
岩合さんが、30年以上前に最初に一緒に住んだ猫。
近くのお寺からもらってきたお転婆な猫でしたが、
岩合さんの写真のモデルにたくさんなってくれたようです。
岩合さんは、今でも海外で、海ちゃんと似た模様の猫を見かけると、
思わず「海ちゃん」と呼びかけてしまうくらい
愛着を持っているようです。
 
 
にゃんきっちゃん
岩合さんの娘さんの白猫で、
目がくりっとなっていて可愛らしいオス猫です。
小さい頃に馬にくわえられ、肉球を一つなくしているそうですが、
それを他の人に話しているところを聞かれると、
何故か不機嫌になるようです。
 
 
柿右衛門
三毛の顔立ちがキリっとした猫ですが、
名前のイメージとは違い、メス猫です。
岩合さんの家に野良猫としてやってきて、
家の中に上がり込み、いつのまにか家族の中に入ってきた猫です。
木登りが得意で野性味あふれる猫ですが、
岩合さんにとっては猫の印象を変えてくれた猫のようです。
 
ケナ
名前のとおり?毛の長い猫ですが、気取った感じもまるでなく、
親しみやすい猫のようです。
 
公表されているのは、この4匹ですが、
発刊した本などを見ると、
岩合さんの猫好きな面が見れて
楽しいですよ。
 
 

岩合光昭さんの家族や子どもについて

岩合さんが動物写真家となったのには、
お父さんの徳光さんの影響が強いようですね。
 
また奥さんは日出子さんといって、
光昭さんが25歳のときの
1975年に結婚されています。
 
日出子さんも猫好きだったからということもあり、
意気投合されたのでしょう。
 
今でも世界中を飛び回る光昭さんの良き理解者
なっているようです。
 
1977年には、娘のさんが生まれています。
 
薫さんが5〜7歳の頃には光昭さんの仕事の関係で
アフリカのセレンゲティに家族で住んでいたことから考えても、
家族が離れ離れで暮らすことなく、
一緒に海外に行って住むような
結束力のある良い家族のようですね。
 
 

まとめ

動物写真家の岩合光昭さんについて、
リサーチしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
日本人初のナショナルジオグラフィックの表紙を2度も飾るなど、
その才能、センスには眼を見張るものがありますが、
その一方で身近な動物にも野生動物と変わらず
愛着を持って接する姿がとても好印象でした。
 
そんな心優しい岩合光昭さんだからこそ、
今後も素晴らしい写真を発表してくれることでしょうね。
 
今後も益々のご活躍を期待したいですね!