速報(訃報)

【訃報】超有名デザイナー オイバ・トイッカ死去その経歴や家族を改めてリサーチ!

北欧フィンランドを代表するデザイナーの
オイバ・トイッカ(Oiva Toikka)さんが
2019年4月22日に享年89歳で亡くなられました。
 
これまでオイバさんは、
数多くの作品を世に出し、
世界中にファンがいるほど
愛されていました。
 
オイバさんは一体どんな人?
どんな作品を手掛けたの?
家族はいる?
 
いろいろと気になったので
リサーチしてみました。
 
 

オイバ・トイッカさんの経歴とは・・・

https://www.iittala.jp/designer/oiva-toikka.php

オイバ・トイッカさんは、1931年に
北欧のフィンランドで生まれました。
 
大学はヘルシンキ大学工業芸術学部陶芸芸術学科
芸術教養学科に進学し、
芸術について学んだようです。
 
 
大学卒業後は、1956~1959年まで
フィンランドの陶磁器メーカーの「アラビア」で
セラミックデザイナーとして働き、
そのデザイナーとしてのキャリアをスタートさせます。
 
1963~1993年に
フィンランドの老舗ガラスファクトリーNUUTAJARVI(ヌータヤルヴィ)
グラスデザイナーとなりました。
 
このヌータヤルヴィでは、
多くの実用品やアート作品をデザインしていて、
その作品は世界中の人々に愛されています。
 
世界中の人に愛されるほどの作品を次々と生み出せるとは、
その才能も素晴らしいですし、
その人柄も人に愛されるものでなければ、
素晴らしい作品を生み出すことは
できなかったでしょうね。
 
その後、オイバさんは超有名な北欧ブランドiittala(イッタラ)と協働して、
鳥(バード)の作品を多く輩出したことはあまりに有名です。
 
この有名なバードシリーズは、1972年から製作され、
毎年のように新しいバードが創り出され、
その度に世界中にオイバさんの熱烈なファンを作りました。
 
そして1993年には、フィンランド国家の
アーティストプロフェッサー」を取得しています。
 
 
また、オイバさんは自身の作品を造るかたわら、
スウェーデンのコンストファクスコラン大学工芸芸術学部の教授
英国サンダーランド芸術大学の客員教授も務めて、
後進への教育にも力をいれていました。
 
自身の作品のためでなく、
芸術のために惜しみない活動ができるのは
本当に素晴らしいですよね!
 
最近ではご自身のアートグラスの制作に携わるかたわら
オペラのセットやコスチュームのデザインも手掛けるなど、
年齢を感じさせず精力的に活躍されていたのです。
 
 
 
まだまだ第一線で活動していたから
今後の益々の活躍も期待されていたのに、
突然のこの、
「オイバさんが亡くなられた」
というニュースは
特に北欧好きな方にとっては
とてもショックなことだったでしょうね。
 
 

オイバ・トイッカさんが手がけた作品は・・・

https://www.mothersweden.jp/oiva-toikka.html

オイバ・トイッカさんは、前述のとおり、
イッタラと共同して発売した、
バードシリーズが有名ですが、
それ以外にも次の作品が有名です。
 
・カステヘルミ
・フローラ
・ファウナ
・シエッポ
・ヌータヤルヴィ
 
 
これらの作品は、
世界中の美術館で見ることもできます。
 
美術館で見れるなんて
オイバさんの作品が、
ありふれた日用品ではなく、
美術品であることの
証拠ですね!
 
 
もちろん購入することもできますが、
どのショップも売り切れが多いです。
 
このことからもオイバさんの人気が
よくわかりますね。
 
 
そして、バードについては、
星野源さんと新垣結衣さん主演の
超人気ドラマ
逃げるは恥だが役に立つ」でも、
星野さんが演じた 津崎平匡の部屋に
飾られていました。
 
テレビドラマの中の小道具に選ばれ
さりげなく使われることができることで
特異過ぎて良さがよくわからない美術品ではないことも
よくわかります。
 
美術品のような日用品、
日用品のような美術品。
 
どちらの良いところも
兼ね備えているのですね。
 
 
オイバさんの造る作品は、
お洒落で人々の心をわしづかみするような
魅力にあふれたものが多いです。
 
その証拠に彼の手掛けた芸術作品は国内外において
数多くの賞を受賞しています。
 
そして、2001年には、
オイバさんのアーティストとしてのライフワークの功績に
スウェーデン国王から
「プリンス・エウゲンメダル」
授与されています。
 
芸術作品に賞が与えられただけでなく、
オイバさん自身に、
国からも賞賛されるなんて、
本当に素晴らしいです。
 
まさに、オイバさん自身が、
国の宝だったということですね!
 
 

オイバ・トイッカさんの家族は・・・

 
世界的に有名なデザイナーであるオイバ・トイッカさんですが、
ご家族はいらっしゃたのでしょうか。
 
リサーチしてみましたが、
オイバさんのご家族についての情報は
全くありませんでした。
 
世界的に有名なデザイナーとはいえ、
一般の方ですから、公開されていないのは
仕方ないかもしれませんね。
 
 

まとめ

 

世界に多くのファンがいる、
フィンランドのデザイナーである
オイバ・トイッカさんについて
リサーチしてきましたが
いかがだったでしょうか?
 
彼の作品は、
どれも温かみのあるデザインで、
多くの人を魅了しているものでした。
 
歳を感じさせない活躍に
まだまだこれからも
たくさんの人に
感動を与えてくれるはずだったと思うと
亡くなられたのは
本当に残念ですね。
 
でも、オイバさんの作品はこれからもずっと
人を魅了することでしょう。
 
R.I.P.
ご冥福をお祈りします。
 
 
 
 
ちなみに・・・
 
欧米のお墓に「R.I.P.」という
文字が刻まれたり、
故人を偲(しの)ぶときに使われることがありますが、
これは、ラテン語の
Requiescat in Pace
の頭文字だそうです。
 
安らかに眠れ」という意味。
 
英語だと
「Rest in Peace」
オイバさんの訃報で1つお勉強もできました。
 

【訃報】「ルパン三世」作者のモンキーパンチさん死去改めて経歴や家族についてリサーチ!

「ルパン三世」作者の漫画家モンキー・パンチ(本名:加藤一彦)さんが、
4月11日、肺炎のため死去されました。享年81歳でした。
 
「ルパン三世」と言えば、
漫画を原作とした、アニメ、映画など
世界的にも有名な日本を代表する作品ですよね。
 
その作者の訃報ということで、
とても残念ではあります。
 
この訃報を機に、
モンキー・パンチさんの経歴や
家族についてなど、
改めて気になったので、
リサーチしてみました。
 
 

モンキー・パンチさんの経歴とは・・・

https://mantan-web.jp/article/20190417dog00m200000000c.html

モンキー・パンチ(本名:加藤一彦)さんは、
1937年に北海道浜中町で生れました。
 
ご実家は漁師をされていたそうです。
 
北海道霧多布高等学校卒業し、
東海大学専門学校電気科に進学しましたが、
中退だったようです。
 
学生時代には、地元の医師道下俊一さんの下で、
レントゲン助手などをされていて、
そのころから漫画で患者さんの心を和ませていたそうです。
 
辛い病気に苦しむ患者さんにとってみたら、
良い気分転換になったでしょうね。
 
このレントゲン助手をしていたことは、
以前NHKの「プロジェクトX」で
地元の浜中町の僻地医療が紹介されたときに
道下俊一医師の助手として出演されたこともありました。
 
 
 
少年時代から、漫画家の巨匠手塚治虫さんの影響を受けて、
漫画を描き始めたそうです。
 
霧多布高等学校を卒業後に上京、
上京後は、「加東一彦」というペンネームで漫画家のアルバイトをしつつ、
弟の加藤輝彦さんと他の友人と同人活動を行っていました。
 
1965年に「プレイボーイ入門」という作品で本格的にデビュー。
デビュー当時はグループでの執筆のように見せていたようですが、
実際は加藤一彦さん一人で作っていました。
 
1966年、デビューのきっかけとなった、
マンガ誌「漫画ストーリー」の清水文人編集長の命令で
ペンネームを「モンキー・パンチ」に改名。
 
当初はこの「モンキー・パンチ」は
加藤編集長が適当に付けたものだったらしく、
気に入っていなかったようですが、
翌年の1967年にマンガ誌「漫画アクション」で発表した
ルパン三世」が大ヒットして、
変えるに変えられなくなってしまったようです。
 
1980年以降、
サンディエゴ・コミックコンベンションでINKPOT賞
ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞
AMD Award功労賞を受賞して、
国内外から注目されました。
 
2003年4月に、
東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻
(現バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)に入学。
入学した時は66歳でしたが、
ちゃんと勉強しないと、これ以上先に進めない」という想いから
入学したそうです。
 
66歳にしてこの想いが出て、行動に移されるとは、
頭が下がる思いですね・・・。
 
2005年3月に無事修了。
 
 
続く2005年4月には、
大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース
教授となり、教鞭をとられました。
 
 
2010年5月からは、東京工科大学メディア学部客員教授にも就任され、
後進の学生を指導されたようです。
 
2015年には東京アニメアワード2015アニメ功労賞
2016年には北海道新聞文化賞を受賞
 
2017年専門学校の札幌マンガ・アニメ学院の顧問に就任していましたが、
この度2019年4月11日に死去されました。
 
 

「ルパン三世」は実は悪人だった!?

モンキー・パンチさんと言えば、
何と言っても世界的にも有名な「ルパン三世」が代表作ですよね。
 
この「ルパン三世」は、1967年8月から連載開始
1971年にはテレビアニメが放送開始され、
現在でもテレビアニメ化されるなど人気を誇っています。
50年以上も愛される作品を作るなんて本当にすごいですよね。
 
でも、実は原作は、アニメとは違い、
ルパン三世は「悪漢の大泥棒」として描かれており、
悪い奴として作られたようですね。
 
アニメや映画は、原作よりも人気が高いですが、
設定は「心優しい大泥棒」に変えられたそうです。
 
原作でも性格的に優しい部分はあるものの、
大幅な設定変更ですよね。
でも、そのおかげで「ルパン三世」は
大ヒットすることになったのでしょう。
 
 
面白いエピソードとして、
モンキー・パンチさんが初めてアニメの監督を務めたときに、
「敵を後ろから刺す」というシーンがあったそうで、
そのシーンについて、当時のディレクターから、
ルパンはそんなキャラではない」と
却下されたのだそうです。
 
モンキー・パンチさん、原作者なのに(笑)
 
それほど、「心優しい大泥棒」の設定が
一般的になってしまっていたのですね。
 
 

モンキー・パンチさんのご家族について

モンキー・パンチさんのご家族については、
弟の加藤輝彦さん以外には詳細な情報は見当たりませんでした。
 
弟の輝彦さんは、一彦さんと同人活動を行っていましたが、
一彦さんがモンキー・パンチとなったころには、
その活動を手伝っていたようです。
 
一部には、モンキー・パンチは、一彦さんと輝彦さんの2人で
行っていたと言われることもありましたが、
それは実は違うことは一彦さんが否定されています。
 
現在輝彦さんがどのような活動をされているのかについてまでは
詳細な情報はありませんでしたが、
一彦さんの訃報についてはさぞ悲しまれていることと思います。
 
 

まとめ

モンキー・パンチさんについて、調べてきましたが、
いかがだったでしょうか?
世界的に有名な「ルパン三世」を送り出してくれた
モンキー・パンチさんが亡くなられたことは
本当に残念ですね。
 
でも、これからもずっと「ルパン三世」や「モンキー・パンチ」は
後世に語り継がれることになるでしょう。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。