星野佳路(星野リゾート社長)はコロナ禍も乗り切る観光業の革命児!その経歴や理念、家族について調査!

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8月20日テレビ東京カンブリア宮殿に星野リゾート代表の

星野佳路(ほしの よしはる)さんが出演されます!

 

星野リゾートと言えば、
魅力的な宿泊施設を次々とオープンさせていて

多くの人から人気を集めていますよね。

 

その代表である星野佳路さんは、
リゾート再生請負人」とか「観光業の革命児」と呼ばれているのですが、
いったいどんな人物なのでしょうか?

周りにいる家族はどんな人たち?

気になったので調べてみました。

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星野佳路さんの経歴は?

星野佳路

https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0807/dol_200807_5984902244.html

1960年4月29日生まれで、今年60歳。
長野県軽井沢町出身です。
長野の老舗旅館「星野温泉ホテル」の4代目にあたります。

小学4年生の時に祖父母と訪れたアフリカ旅行で、

佳路さんは星野温泉の跡継ぎであるということを
初めて自覚するようになったんだそうです。

 

幼いころはスピードスケートをしていて、
慶應義塾中学に通う頃からアイスホッケーの選手だったということで、
外見からは想像つかないほどの体育会系の性格が形成されたようです!

 

1983年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、

米国のコーネル大学ホテル経営大学院へ。


その修士課程修了してMPS(ホテル業界のMBA相当)を取得しています。
米国の大学院に進んだのは、「跡継ぎ」として見られたくなかったから、と
インタビューで語っていました。

 

家柄だけで自分を判断されてくない、という気持ちの現れだったようですね。

 

そして、1991年にアメリカの日本航空開発(現JALホテルズ)に

現地採用されました。


現地で採用とは、素晴らしいですが、2年間務めた後、

お父さんに呼び戻されて星野温泉に取締役として戻りました


でも、その後お父さんを含めた社内外の人と経営方針を巡って対立・・・。

 

当時の星野温泉は同族企業で、

何かするにしても親族から許可を受けなくてはならないような

会社だったようですが、アメリカで良い経営者について学んだ佳路さんは、

言うべきこと、やるべきことに躊躇しない方だったので、
かなり親族の方と壁ができてしまったようです。

 

そのせいで取締役就任から半年で星野温泉を辞めて再び渡米し

シティバンク銀行に就職しました。
そこでは、リゾートホテル事業の債権回収業務を担当し、

2年間勤務しましたが、


再度星野温泉株主や役員を含む社内外関係者から呼び戻されて

再度星野温泉に入社。

以前の失敗をしないように、

公認会計士の実弟を「10年後のハワイ移住」で釣って役員に迎え、
社名を星野温泉から株式会社星野リゾートに変更し、

4代目社長に就任することとなりました。

 

その後、会社の建て直しにはとても苦労したようです。
募集しても入社希望者が集まらなかったり、
また、温泉旅館も古びたものだったため、

なかなかうまくいかなかったのですが、
自分が提供できるのは、会社の行く末についてのビジョンだけ、と、
開き直って経営し、
リゾートにおける顧客満足度、事業利益、環境負荷数値目標の同時達成を

目指して、「星野リゾート」を見事に再生、大成功へと導きました。

当時実弟とのハワイの約束は未だに踏み倒しているそうです笑笑


2003年には国土交通省より第1回観光カリスマに北陸信越地区から

選定されるほど
観光業界では知らない人はいない人物になりました。

 

そして2010年には

第23回日本メガネベストドレッサー賞経済界部門を受賞するなど、
外見のオシャレにも気を遣う人のようですね。

 

その後、2015年には

復興庁の「東北観光アドバイザー会議」に参加されるなどの

活動をしていました。


破綻した数々のリゾート施設を再生させてきた経営手腕が評価され、

ついた渾名は「リゾート再生請負人」。


現在では、日本発のラグジュアリーホテル「星のや」に

上質な温泉旅館「」など、
圧倒的な知名度のホテルブランドを率いています。


星野佳路さんの経営理念とは?

星野佳路さんの経営理念は、

ご自身が強く感銘を受けたリゾート体験にあったようです。

 

特に20年以上も前に訪れた米国フロリダ州の

シーサイドリゾート」の、浜辺、海、陸の自然と一体化できるという

コンセプトは、
その後の「星のや竹富島」の開発において大いに役立っているとのこと。

また、「星のや竹富島」では琉球料理をベースとした

フレンチを提供しているのですが、
それまで西洋リゾートをイメージした開発が多かった沖縄の地に、

その風土を残しつつ、
時代に合わせた新旧一体のサービスを更新し続けていくようにしています。


つまり、「星野リゾート」を大成功させたコンセプトは、

ずばり「地方の文化的エッセンスの演出」ということ。


それらは、地元スタッフたちが地方独自の文化価値を自覚して

作り上げられることによってこそ、
旅行者に「他所の土地に来た」というリアルな感動を伝えられるというのが、星野佳路さんのモットーなのだそうです。


一律のシナリオでは、旅行者がその地に足を運ぶ理由がなくなってしまう、

ということなんですね。


ですので、これからも「星野リゾート」は、

訪れる者の旅情をくすぐり続けてくれることでしょう。

 

今、コロナ禍で日本の観光業については

未曽有の危機といっても過言ではないでしょう。


これは星野リゾートについても同じことですが、
前年同期比、売り上げ9割減という絶望的な状況に陥りながらも、

早々に生き残り戦略を立てたのは素晴らしいですね。


コロナ禍での新たな旅のカタチが、

将来の日本の観光を強くすると佳路さんは言っています。


地方の魅力を再発見することで絶対に倒産しない!という強い意思の元、
借金から自然災害まで何度も危機を乗り越えてきた星野佳路さんが描く

驚きの一手は、
8月20日放送の「カンブリア宮殿」で明らかになることでしょう!


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星野佳路さんの好きなことや性格は?

星野佳路さんは、海のリゾートを成功させてきましたが、

実は夏の海より、
冬の山のほうが大好きなんだそうです。

 

幼いころに始めたスピードスケートや学生時代からのアイスホッケーで

国体出場の経験を持っていて、


1年に60日間は雪山でバックカントリースキーを楽しむことを

目標にしているんだそうです。

バックカントリースキー


このバックカントリースキーは、新しく展開する景色や、

天候によって変化する幻想的な場面に出会うことができるので、
旅を連想させる特別な体験なんだそう。
お仕事は常に多忙を極めているのですが、
そうした中でもテンションを保つためにバックカントリースキーをするのは

必要なことのようです。

 

他にも
「会いたくない人には会わない」
「行きたくないところには行かない」
「やりたくない仕事はしない」
「睡眠は7時間とる」
「スーツを着ない」
など、創造性を保つための心がけを徹底してるんだそうですよ。

 

限られた時間を存分に楽しむ。
これが星野佳路さんなんですね!


星野佳路さんの家族とは?

星野家は代々佐久市岩村田で鮮魚や雑貨を営む商店を

経営していたようですが、
初代の星野嘉助が生糸業を興し、一時はアメリカに支店を持つほど

繁栄したお家柄だったそうですね。


生糸相場が暴落すると、所有していた中軽井沢の山林に温泉を掘って

星野温泉と名付け、旅館業を始めたんだそうです。

 

星野家の当主は代々嘉助を名乗り、初代経営者(国次)は3代目嘉助の方。
2代目経営者(嘉政)を継いだ3代目経営者(晃良、国次の長男)が4代目嘉助で、佳路さんの父親(1933年 – 2013年3月18日)にあたります。


現在、星野佳路さんのご家族は、奥さんの朝子さんと中学生の息子さん。

奥さんは、実は当時、日産自動車の市場情報室長だったようですね。
彼女はその後も順調に出世し続け、

国内事業No.2の女性初専務執行取締役にまで上り詰めました。

星野朝子

https://global.nissannews.com/ja-JP/photos/photo-3d163d1e26bd59d1b077854956001917-asako-hoshino

 

日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)出身で

市場分析の専門家である朝子さんは、
カルロス・ゴーン社長のヘッドハンティングによって日産自動車に入社。

女性視点を生かして、同社の売り上げV字回復に大きく貢献しました。


出産直後は、軽井沢の自宅から銀座本社まで

新幹線通勤をしていたというから驚きますよね。


その後マーケティング本部のトップである

日産自動車の片桐隆夫副社長補佐役に大抜擢されました。


朝子さんは「日本で2番目に高い山なんて誰も知らない」と、

あくまで1位にこだわる頼もしさで打倒トヨタを目指しています。

 

息子さんは、現在中学2年生です。
1カ月の半分も東京にいないという佳路さんと同じくらい、

妻・朝子さんにも出張が多い中、
夫婦でスケジュールが重ならないように調整しながら、

必ずどちらかが家にいるように工夫しているそうです。


これは本当に素晴らしいの一言ですね。


東京にいる時の星野佳路さんは、6時半に起床して朝食を作り、

会食には一切応じず、8時半には帰宅して、息子と夕食を共にするんだそう。

 

息子さんが幼い頃は保育園の送り迎えもやっていたという

イクメンな素顔もありますが、
子供が親の跡目を継ぐ時代は終わった」という教育論を掲げている

星野佳路さんには、
息子を多くの旅に伴うことがあっても「星野リゾート」を託さねばならないという絶対的考えはありません。

 

ただし「たすきをつなげるメッセージは伝えたい」という想いはあり、

これから広い世界を見つめるであろう息子さんの行く末が
楽しみで仕方ない、ということように見えますね。

 

まとめ

今回は、「リゾート再生請負人」とか「観光業の革命児」と呼ばれる、
星野リゾートの代表者、星野佳路さんについて調査してきましたが、

いかがだったでしょうか?

 

独特な感性で、リゾートの再開発などを経て、

家業を立て直して、今の人気を構築されました。

 

インタビューでお話されていましたが、
「最後に頼れるのは自分自身」という考えをお持ちのようで、
やはり自分自身に、自信があり、信頼しているんだな、ということが

分かりました。

 

今はコロナ禍で大変な時期ですが、
それでもなんとかして乗り切ってしまうのでしょうね。

今後も、星野リゾートにどんどん素晴らしいラインナップが

できてくるでしょうから本当に楽しみですね!


最後までお読みいただきありがとうございました。

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