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キムラ緑子は変幻自在のカメレオン女優!どんな経歴?結婚や子供がいるかも調査!

2020年9月5日TBS「人生最高レストラン」に

女優のキムラ緑子さんが出演されます!

 

キムラ緑子さんと言えば、どんな役でもこなす、
名バイプレイヤーでカメレオン女優と言われるほどの
演技力の高い方なのに、テレビに出てブレイクしだしたのは、
50歳を超えてからという遅咲きの女優さんなんですよね。


一体どんな経歴の持ち主なのでしょうか。

結婚はしているの?

子どもはいる??

気になったので調べてみました。


キムラ緑子さんの経歴とは

キムラ緑子

https://www.oricon.co.jp/news/2103852/photo/1/

1961年10月15日生まれ、今年で59歳になる方ですね。
兵庫県淡路島洲本市大野生まれです。
特技はピアノ、華道、剣道。
血液型はO型。

 

淡路島洲本市といえばのどかなところですが、

幼少期は道端の草を食べてしまうような

かなりやんちゃな女の子だったようです。


洲本市立加茂小学校、洲本市立青雲中学校を卒業しています。
中学時代はテニス部に所属していました。


中学時代までは、一重まぶたに二重アゴ、三段腹だったので、
一二三さんと呼ばれていたようです。
全然想像つかないですが、ふくよかすぎるくらいだったんですね。

 

そんな体系ではあったものの、
小さい頃は歌手になりたかった」と言うほど

幼いころより歌が大好きだったようで、
中学生時代には歌手に憧れて『スター誕生!』のオーディションを

受けたんだそうです。

自分の夢に向かってスゴイ行動力ですね。


そして、そのオーディションでは、

中島みゆきさんの「時代」を歌い、最後の5人くらいになるまで、
審査を突破していきましたが、結局落選してしまったようです。


その時は、泣きながら帰宅したという話をされています。

 

そして兵庫県立洲本高等学校に進学し卒業しています。


高校時代は剣道部に所属していたそうですので、

バリバリの体育会系だったようですね。
今からすると想像がつかないですが・・・。

 

アイドルグループフォーリーブスの青山孝史さんが

大好きだった女の子のようでしたが、
中学生のころから15キロも減量したため、モテ期だったようです。
ただ、高校までは演劇に全く興味がなかったとのこと。

ご自身が女優になるとは考えてもいなかったことでしょう。


そして、同志社女子大学学芸学部英文学科大学へ進学します。
このだ大学は今でこそ以前よりは偏差値が高くないようでしたが、

その当時は偏差値も高かったようですね。

 

この大学時代にキムラ緑子さんの人生の転機が訪れます。
それが演劇を初めて見た、ということ。

 

なぜ演劇をみたかというと、

入学した時に友人となった女性が演劇少女だったため、
「サークルの見学に行くからついてきて」と言われて初めて観た

マキノノゾミさんのつかこうへいさんの舞台作品に

強い衝撃を受けたんだそうです。

 

その衝撃から同志社女子大学の姉妹校である同志社大学の演劇サークル

第三劇場」に入部して演劇に取り組みました。

 

大学卒業後はそのまま演劇の道に進みたいと思っていることを

両親に相談したところ、
新車を買ってやる(からやめなさい)」と説得されたことで

断念し地元に帰りました。

 

これは緑子さんのお母さんが後日お話していたので間違いないでしょう。
買ったのはスポーツカーだそうですよ。

それにしてもご両親もすごいですね笑

 

地元に帰った後にはいろいろな職に就きましたが、
つかこうへいさんに影響を受けたこと、また演劇への想いが忘れられず、
1984年に上京しました。

この上京のときに荷物を載せていったのが、ご

両親に買ってもらった車だそうです。

 

上京後、学生の時に衝撃を受けたマキノノゾミさんが立ち上げた劇団「M.O.P.」の旗揚げに参加することになります。
帰郷後もやはりどこかでつながっていたんでしょうね。

 

そして、このMOPは井上ひさしさんの作品を中心に公演を行い、
緑子さんは2010年の「M.O.P.」解散まで看板女優として活躍していました。

 

一度諦めた演劇の道に再度はいり、衝撃を受けた人の劇団で
看板女優にまでなった緑子さん、スゴイですね。
もちろん才能もあったでしょうが、並々ならぬ努力もされたことと思います。

 


MOPに所属している最中の2000年ころからテレビドラマなど映像作品にも進出するようになります。


近所のおばちゃんから貴婦人まで、印象の異なる役柄を自然に演じて、
自分の個性を意識させずにあらゆる役に入り込むことから

カメレオン女優」とも称されることになります。
これは本当にすごいですね。
演技が一緒だと役柄も同じような役に固定されがちですが、
それが全くないから、いろいろな役をやれるんですね。

 

2008年には放送作家・東野ひろあきさんの企画で

15分ほどのステージに出演したことがきっかけで、
ラスベガス生まれの日系三世の歌姫「ドリー・キムラ」に扮し、

俳優の大谷亮介扮する「タニー・オータニ」とともに
ドリー&タニー」のユニット名で年に1回ほどのペースで

芝居仕立ての音楽ライブをライブハウスにて開催していました。


このステージでは、ジャズのスタンダードナンバーを関西弁にして歌うなど、その歌声も披露しています。
さすが劇団で培ってきた演技力と発声、ですね。

 

MOP解散後の2013年がまた転機なのですが、
出演したNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』で杏さん演じるヒロインの

いじわる義姉・西門和枝役を演じて
一躍注目を集めました


ここで一気に知名度、注目度もあがりブレイクしたのですね。

 

前々から劇団で培っていた演技で有名ではあったものの、
映像の世界でさらに有名になったので、
遅咲き、と言われることになったようですが、
以前から才能は開花していたようです。

 

いつも、とにかく底抜けに明るいキャラクターでチャーミングな緑子さんは、
今も多くのドラマやバラエティ番組などに出演されています。


キムラ緑子さんはバツ1ってホント?

キムラ緑子さんは、1992年に劇団「M.O.P.」主宰の

劇作家・マキノノゾミさんと結婚しました。
衝撃を受けた人と結婚するとは、さすがですね。

でも、13年後の2005年に離婚してしまったんです。


お互いに忙しかったというのもあるようですが、
人気劇作家のマキノさんが旦那さんなので、緑子さんは良い役をもらえる」という影口をたたかれたこともあったようで、
そのことで、自分の実力でもやっていけることを証明したかったという

想いもあったようです。


確かに、カメレオン女優と言われるまでの演技力がある人が、
他人の助けがなければ役がもらえないなんてありえないですからね。

 

マキノさんは離婚についてはあまり乗り気ではなったようですが、
「毎日しっかり連絡を取り合う」という条件で、円満離婚となったようです。

 

その後はお互いに頑張っていたようですが、
緑子さんは猫を飼っていたのですが、
舞台公演で地方を回る際などマキノさんに猫を預けることがあったようです。

その猫がマキノさんに懐いたことから、
「一緒に飼う」と再び同居が始まり、

2010年に復縁して、現在に至っています。

 

元々嫌いになって離婚したわけではないお二人ですし、
お互いの実力を認め合った人たちなので、
復縁は必然だったのかもしれません。

 

キムラ緑子さんにお子さんはいるの?

現在、お二人の間にはお子さんはいないようですが、
夫婦だけの時間を大事に生活されているんでしょうね。

 

まとめ

今回は、カメレオン女優とまで言われる演技派女優の
キムラ緑子さんを調査してきましたが、いかがだったでしょうか?

 

遅咲きと言われているものの、
その演技力はブレイク前から発揮されていたことがわかりました。

 

映像の世界がやっとキムラ緑子さんの魅力に
追い付いた、という感じでしょうね。

 

今後もその高い演技力で、
感動を与えてくれることでしょう。

 

今後の活躍がさらに期待できますね!


最後までお読みいただきありがとうございました。

林和泉(文喫副店長)の本屋は入場料を取る!?気になる経歴をあわせて調査!

2020年9月8日フジテレビ系放送「セブンルール」に

文喫副店長の林和泉さんが出演されます!

 

文喫とは、書店の名前なのですが、
実は入場料を取る本屋さんだというんです。

 

本屋さんなのに入場料取るの?

そこで働く林和泉さんて、いったいどんな人?

いろいろと気になったので調べてみました。


林和泉さんの経歴

林和泉

https://bunkitsu.jp/dailyevent/

 

林和泉さんは業界では有名な方ですが、
一般の方ですので、詳細なプロフィールの公開はされていませんでした

 

現時点で判明した範囲でお伝えしていきますが、ま

た後日判明したら当ブログで公開していきます。


2014年に、大手取次店の日本出版販売株式会社に入社されました。

首都圏の紀伊國屋書店3店舗の営業を担当して、

書店の売上改善や販売効率化の施策を行っていました。

 

2017年より「本の楽しみ方を拡大する新規事業の立上げ」を担当
入社3年目、今まで培った経験を基に仕事をされています。

 

そして、2018年、日本出版販売のグループ会社リブロプラスに出向し、
文喫の立ち上げにブックディレクターとして参画し、
現在、立ち上がった文喫の副店長を務められています


文喫ってどんな書店?

林和泉(文喫)

https://www.haconiwa-mag.com/life/2018/12/bunkitsu/

「文喫 六本木」は2018年12月に青山ブックセンター六本木店の跡地

オープンしました。

 

林和泉さんは、以前からこの青山ブックセンター六本木店の前を通って

出勤されていたようで、
まさかこの跡地に自分が勤務する本屋さんができるとは思っておらず、
いざ、この跡地がその場所となることが知った時は、

本当にドキドキしたと言われています。


この文喫は、他には例のない“入場料のある本屋”として注目され、
週末には入場制限されるほどの人気を博しています。

 

本屋さんが人気で入場制限されるって、ほとんど聞いたことないですよね??

しかも入場料を取られるにも関わらず、です。

 

ほんとによい本屋さんで、

その魅力が多くの人に伝わっている証拠でしょうね。


この「文喫」は入場料を取るということからもわかるように、
通常の本屋とは業態が大きく異なっています。

店内には、約3万冊の本が並んでいます。
約3万冊、というのも通常の本屋さんは、

そこまでの品ぞろえがあるところはほとんどないですよね。
それに、従来の本の流通を覆す「返本はせず買い切り」というスタイルで

同じ本は1タイトルにつき1冊しか置かない主義というからすごいですよね。

 

そのため、売れている本だったら、
1タイトルに何冊も置く普通の本屋さんとは違い、

「文喫」では約3万タイトルあるということですから、
本当に多種多様な本がそろえられているんですね。

 

だから、ある本の棚には同じテーマをより深く知ることができる
複数の書籍を収納するといったスタイルとなっています。

 

これが訪れる人に受けた、ということで

入場制限もかかっているくらいになっているんですね。


「文喫」では基本的に本をゆっくり読むことができて飲食も可能なんです。
飲食が可能というのも、商品である本を汚してしまう可能性があるから、
通常は禁止している本屋さんが多いですが、こんなところも嬉しいですよね。

 

軽食も出しているので、読書や本探しに疲れたときには
ふらっと寄れて気分転換もできるようです。

 

しかも、コーヒーはお代わり無料なんだとか。
これは嬉しいですよね。

 

長居ができて、本と向き合える場所を提供してくれているところが

素晴らしいですよね。

 

文喫のコンセプトが、「本と出会うための本屋」ですから、
まさに、そのとおり、といった感じですね。

 

そして、ひとりで本を吟味するための「閲覧室」や、

複数人での読書会や打ち合わせなどで利用可能な
「研究室」などの施設も用意されています。

 

閲覧室はすぐに埋ってしまうほどの人気ぶりだそうです。
本をじっくり読むための部屋ではありますが、
ここで仕事をしている人もいれば、
寝ている人もいるんだとか。
寝ている人は普通だと起こされたりするんでしょうが、
この文喫の店長は、「閉店時間になったら起こせばいい」という

考えを持っていて、
途中で起こすことはないんだそうです


副店長である林和泉さんもこの考えには同調しているようですね。
これもまたスゴイでですが・・・。

 

研修室については、読書会や打ち合わせを文喫についての

インタビューを受けたり、
また、本についての新規発表なども行える多目的スペースですね。


こういった場所を提供されているところも、
ただ単に本選んで買うだけ、の通常の本屋の業態とは全くことなりますよね。

 

文喫って儲かるの??

通常の本屋さんの形態ではなく、
また本にしっかり向き合うことになるので、
長いする人が増えて、回転率が悪く、
また、立ち読みのような感じが増えるのかな、と思いましたが、
収入のメーンはもちろん入場料なんですが、
実は入場者の3~4割程度がそこで見た本を買っていくそうですね。


客単価は通常の書店の倍程度の3000円前後になるといいます。
単価、素晴らしく高いですね。

 

入場料を取っているのにもかかわらず、

そこで購入していくお客さんも多いということですから
需要と供給について理想的なバランス保っている、

ということなんでしょうね。

 

そして、文喫は基本的には有料でしたが、
店内に入ってすぐのところにある企画展と雑誌棚のエリアは

無料でたのしめるとのことです。
ここで感覚をつかんで有料スペースに入りたくなる導線として

あるんでしょうね。

 

まとめ

今回は、他にはない本屋さんの副店長の
林和泉さんについて調査してきましたが、いかがだったでしょうか?

 

じっくりと本に向き合って、これっていう本に出合うには、
まさにこの文喫の形態はいいかもしれませんね。

 

居心地の良い本屋さんで、
これっていう本に出合いたいなって思いました。

 

これからも、そんな出合いを演出してくれることでしょう。

 

今後の活躍に期待したいですね!


最後までお読みいただきありがとうございました。

粟田純德(石工)は400年続く穴太衆の棟梁!気になる経歴や家族を調査!

2020年9月6日のTBS「情熱大陸」に石工として有名な
粟田純德(あわたすみのり)さんが出演されます!


日本には、今も残る美しいお城が多くありますが、
そのお城の石垣を専門に作る「石垣づくり」を

今に伝える専門家集団がいるんです。


その集団が、戦国時代から400年前から続く、石工集団で、
粟田さんはその棟梁をされている方ですが、
いったいどんな人なんでしょうか?

 

そもそも石工ってどんなことするの?

 

粟田さんに家族はいるの?

 

いろいろ気になったので調べてみました。

 

粟田純德さんの経歴は

粟田純德

https://www.mbs.jp/jounetsu/2020/09_06.shtml

1968年生まれで、今年52歳の方です。
滋賀県の出身。
現在も滋賀県に住まわれています。
趣味は、サッカー教室に通う息子の試合観戦。
仕事終わりの一杯が至福のひととき。

 

気のいい親父さんという感じですね笑笑

 

明るく楽しい家庭を想像しちゃいます。


地元の中学校を卒業後すぐに、
石工の祖父・粟田万喜三さんに師事します。

職人の世界、という感じですよね。

 

修行を積んだのち、
2005年に父で14代目の粟田純司さんから
会社を受け継ぎ「穴太(あのう)衆」という石工集団の流れを汲む家の

15代目を継承しました。

 

戦国時代から続いている石工、ということで、

なんだかとてもカッコイイですね。

 

現在、株式会社粟田建設代表取締役です。

 


穴太衆ってどんな集団?

粟田純德さんか受け継いだ、
石工集団の「穴太(あのう)衆」とは、
戦国時代に活躍した石工集団

織田信長の「安土城」の石垣をつくり

その名を高めたといわれています。

 

作り方は、加工しない自然石を使った強固な積み方が特徴で、
全国の城づくりに大きな影響を与えたとも言われているんですね。

 

日本全国の城づくりのスタンダードになるくらい、
素晴らしい技術だったってことですね。

以前の日本の技術力については、ほんと素晴らしいものが多いですね。


海外でもその高い技術を披露することもあるようです。

最近では、有名建築家の隅研吾さんに依頼され、
アメリカで石垣を作るプロジェクトに参加されたそうです。

海外でもその技術力は高く評価されているようですね。


新しい城が作られなくなった現代では、
国内での仕事は激減してはいるようです。
海外に進出するのも、国内の仕事不足からだとか。

 

海外でも、石垣を使う建築物は多いでしょうから、
きっと国内よりも需要は多いかもしれませんね。

 

ただ、そんな中でも、傷んだ石垣の修復作業が

主な仕事の一つになっているようで、
文化財となるような貴重な古い石垣を再建するには、
当時の技を熟知した粟田さんの技が欠かせないものになっています。

 

奈良県の郡山城や、地震の被害にあった熊本城の修復現場でも、
その技術をもって修復などに貢献していらっしゃるとのこと。

 

重要な文化財は、保存することがとても難しいと聞いたことがありますが、
その保存のための回収ができる技術をもった石工という職業は
本当に貴重な存在ですね。


穴太衆に伝わる教えは、
石の声を聴け。石の行きたいところで持っていけ

石を熟知し、その石がぴたりとはまるところに持っていく。
その声を聴ける粟田さんはすごいです。


今回の情熱大陸では、
岡山県浅口市にある寺院から、新規の石垣造りを受注してからの
粟田さんの奮闘が見られるようです。

 

この寺院からの依頼の石垣は、長さが

なんと100メートルに達する大規模な石垣とのことで、
粟田さんの技術で一体どんな石垣が完成するのか、気になります。

放送が楽しみですね!


粟田純德さんのご家族は

粟田さんが石工になるために師事した
お祖父さんの万喜三さんは、なんと人間国宝だそうです!

 

石工として素晴らしい技術をお持ちだったとは思いますが、
人間国宝までとはすごいですね。
そんな万喜三さんから直接技術を教えてもらって、
吸収できたということは普通は無いことですよね。

 

きっと純德さんもすごい技術を受け継いだんでしょうね。


純德さんのお父さんは、「現代の名工」と呼ばれています。
おじいさんは人間国宝、お父さんは現代の名工。
スゴイ方ばかりですね。。

純德さんもきっと、現代の名工、人間国宝にもなり得るんでしょうね!


純德さんは、お子さんがお二人いるようです。
息子さんと娘さん。

今は息子さんのサッカー教室の観戦に行くのが趣味みたいですが、
ゆくゆくは息子さんが 純德さんを、「穴太衆」を継いでいくのでしょうか。
ここまで続いた技術を守っていってほしいですね。


まとめ

今回は、石工の粟田純德さんについて調査してきましたが、

いかがだったでしょうか。

 

400年も脈々と続く「穴太衆」の棟梁として
現代を生きる粟田純德さん。

 

とてもかっこいいですが、
昔のように城を作らなくなった今、

以前よりも必要とされなくなってしまったことがとてもつらいですね。

 

純德さんの会社は従業員が以前は3人のようです。
昔はきっと多くいたであろう石工も今は維持が難しいのでしょうね。
本当に歯がゆいです。

 

いろいろと大変なことが多いかと思いますが、
こうしてテレビなどのメディア出演もされたりすれば
注目も集まるでしょうから、
ぜひ守っていってほしいです。

 

今後の活躍に期待したいですね!


最後までお読みいただきありがとうございました。